多くのひとがSNSを使う社会で、芸能人やYouTuberなどのインフルエンサーの不祥事、問題発言に対して、行き過ぎた誹謗中傷が多くみられます。
それが、本当に問題である場合と、そうでない場合もあります。
誹謗中傷が原因で自分で命を絶つ決断に至ってしまう人も少なくありません。
そんな誹謗中傷がなぜ多くあるのか、考察していきます。
誹謗中傷をする人
誹謗中傷をする人の年齢層を調べると、40代以上の人が加害者になる場合が多いです。
40代以上に比べると、10代、20代は少ないです。
ここでの違いは、年齢だけでなく、社会的な立場もあると考えられます。上司も部下もいるのは立場的にも大変だと思います。
仕事に追われていたりすると、心の余裕がなくなり、SNSやテレビでキラキラしているような人を見ると、否定したくなるのかもしれません。
心に余裕があれば、誹謗中傷がなくなると考えるならば、
景気が良くなれば誹謗中傷は少なくなるのかもしれません。金銭的にも時間的にも余裕が出てくると心にも余裕が出てきます。
ですが、残念ながら現在の日本の経済状況や政治の観点から考えると、急激に景気が良くなるとは考えにくいです。
そう考えると、今すぐ誹謗中傷がなくなることはないと言えます。
国民性
日本人の特徴として他人と自分を過度に比較してしまうということがあると考えられる。
それは、周りの人と同じことを学校で求められる背景があると考えられます。集団行動や集団生活をする中で、協調性を求められることが多くあります。
当然ですが、集団で生活をする上で先生が統率を取るので、先生の立場から見れば、みんな同じであった方がやりやすくなります。
なので、人と外れたことをする、輪を乱すと注意されます。
先生から見れば、そこに合理性などは必要ないのです。そしてみんな輪を乱す人を注意し合うのです。
私の小学生の記憶では、目標やルールに対して外れた行動をする人がいるとみんなで注意していた記憶があります。
今思えば、大したルールでも目標でもないと思いますが、当時はそれがすべてだった感じがします。
その思考が当たり前になってしまっているように考えられます。
また、アメリカと違って日本は違う人種と深く交流する機会が著しく少ないこともあるように考えられます。
周りに自分と同じような人間が多いので、少し変わった人を見ると嫌悪感のようなものを抱いてしまうのかもしれません。例えば髪の毛の色が黒ではない人、入れ墨が入っている人を見たりしたときにそんな思いを抱く人は少なくないでしょう。
自分にも他人にも同じことを求める傾向があります。
複数人で自分の何か決めるときに周りとの違いを考慮に入れることはないだろうか?
友達とおそろいのものを購入したりする心理もそのうちの一つであると考えられます。
過去の自分を否定することになる
何かに挑戦している人を見て、応援する人も多くいますが、挑戦を否定する人も少なからずいます。
マイナスな言葉ほど大きく聞こえてしまうのが人間です。
キングコングの西野亮廣さんもおっしゃっていましたが、挑戦する人をたたく人の心理として
挑戦している人がうまくいってしまうと、過去に挑戦してどこかであきらめた自分を否定してしまう事になるからです。成功している人を肯定してしまうと、過去に自分が諦めたことが間違っていたと証明してしまうから。というものがあります。
どこか平等であってほしいと思っているところもあると思います。
うまくいっている分、うまくいっていない部分もあるはずだ。あってほしい。と思いたいのだと考えられます。
そういう意味で平等を求めているのかもしれません。
正義を振りかざしたい欲
正義を振りかざしたい欲は少なからず多くの人があると思います。
表現の仕方はいろいろあると思います。
例えば、自分の正しいと思う事や良いと思う事を行動で示すことです。仕事やボランティアなど誰かを傷つけることなく、むしろ誰かのためになることを行動や姿勢で示すことだと思います。
これと対称的に、誰かに制裁を加えたいと思うこともそうです。
問題のある芸能人や有名人に対して、SNSなどで誹謗中傷をしたり、直接本人に対してメッセージを送る人がいます。
YouTuberはテレビタレントや俳優と比べて、視聴者との距離が近いところがあるので、余計に言いやすい部分もあると考えられます。
私はただの理想の押し付けのように感じますが、本気で思っている人も少なからずいるのです。
問題発言も不倫も、刑事事件であっても多くの人には関係のないことです。
不倫などすでに示談が成立している場合は、具体的な内容についてメディアなどで話さないことで示談が成立していることもあります。なので、メディア報道が間違っていたとしても、本人が訂正できない立場にあるので、そこはかわいそうに思います。
なので、ファンごときが入っていい場所ではないと私は思います。
ですが、やはり不祥事があると正義を振りかざいしたい人達の的になってしまいます。
これは変わらないかもしれません。
まとめ
4つの観点から考えてみましたが、誹謗中傷がなくなることはまずないと考えるのが妥当だと思います。
本気で変えたいのであれば、人間性や文化みたいなものから変えなければいけないと私は思います。
多様性を認めることを言われていますが、そういった多くの人とは違った思想、行動などを認めることが多様性を認めることであると私ま思います。
それが正しくても、そうでなくてもです。
肯定したいと思うことも、否定したいと思うことも、人間から生まれた一つの思想です。
それが社会的に間違っていようが、否定してはいけないと思うのです。それこそが多様性を認めることだと私は思います。
法律に違反すれば、司法がさばけばいいのです。
なので、極端な例を挙げると、
人を叩きたい、うらやましい、殺した、殴りたい、と思うことは自由ですし、言うことも自由であると思います。なぜならばその段階では法律には違反していないからです。少なくとも思想は自由なのではないでしょうか?
モラルやマナー、倫理などあいまいな線引きのルールみたいなものがあるせいで、どこを線引きにするのかがわからなくなってしまっています。
みんなで正しくある必要はないと私は思います。
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